相手が出てこない

離婚をしてみてここまで離婚が大変だとは思いませんでした。

よく結婚の何倍もエネルギーがいると言われていますが本当だなと思います。

お金がなかったのですが、大事なことなので、加古川市で離婚に強い弁護士をつけました。

なので離婚を進めていくことに不安はありませんでした。

私が離婚で大変だったのは相手が調停に全く出廷してくれなかった事でした。

調停は前もって日にちが分かります。

なので休みも取れるんです。

それにも関わらず当日は必ずドタキャン。

全ての調停をドタキャンされたため話にならないと裁判に移行して行きました。

裁判になっても来るのは調停の終盤でつけた弁護士だけ。

本人は全く来ず。

さらに証拠まで全て間違っていると否定。

一体何年かかるんだ?と思ったほどでした。

離婚が決まるまでは本当に大変でしたが親権、養育費、慰謝料はあっさり決まりました。

前の主人の給料が安すぎたため慰謝料なしの養育費のみと。

私も慰謝料は無理だと思っていたので、ただただあっさり決まったことに安堵しました。

離婚は凄く大変でしたが、この大変さをもう少し頑張って浮気相手にも慰謝料請求すれば良かったかなと思いました。

そこまでの気力はなく早く別れたいと思っての離婚だったため相手の情報まで集めませんでしたが集めれば良かったかなと少し後悔しています。

離婚して自分がしたいように生きれる

離婚をすると、嫌なことや後悔をすることがあると言いますが良いこともかなりあります。節約のため、岡山市の行きつけのバルに行きたくても我慢するなどお金のことで苦労をすることもありますが、そんなことよりも自由になれた嬉しさんがあるのでとてもいいです。しかし実際に離婚する時は結婚の10倍くらい大変でした。わたしはたつの市の離婚専門弁護士に相談し、実際に離婚することができました。

夫がいる時には、夫の機嫌を見ながら動くことがありました。それはちょっとした事でも、機嫌を損ねてしまうからです。そのため、機嫌が悪くなることをしたくないので、自然と夫と合わせるようになりました。しかしそんな事では、ストレスが溜まる一方です。限界を感じたので、離婚をすることが出きてよかったと思っています。

特に飲み会の時に、自由に何も束縛されることなく楽しめるのはいいですね。そのことは、結婚をして一度もしたことがありませんでした。離婚をしてから、堂々と楽しめることが増えました。自分がビクビクしながら生きることがないので、その点では明るくなったと思っています。

離婚をしたほうが、明るくなるというのはやっぱり離婚をして正解でした。

親が熟年離婚をしました

60代になった母が離婚したいと父に申し出ました。父は断固拒否しましたが、母は強く離婚を希望しておりました。姫路市の離婚に強い弁護士に相談し、慰謝料を支払って離婚が成立しました。

私が子供の頃から夫婦仲はもうすでに冷え切っていたので、あまり父も家には帰宅しませんでしたし、けっこう出張が多い仕事なので帰宅することもなく、ほとんど外泊が多い日常生活でした。

そして母が60歳になった頃、母は離婚して自由になりたいと言い出しました。最初は信じられず困りましたが、コツコツと自分で貯金しながら離婚を考えていたようでした。父はかなり身勝手なタイプなので、母も随分と苦労してきており、熟慮の末に離婚を決めたようでした。60代になって父が退職すると、いつも自宅にいるようになり、そのことでさらに強いストレスを感じ離婚を決意したのだと母のことが理解できます。

父は小言も多いですし、母も精神的にとても辛かったのでしょう。

熟年離婚をした両親。

私の両親は世間で言う、熟年離婚をしました。私と妹が既に成人になってからの離婚でしたので、両親(特に母)は私たちの学校の事などを配慮して、本当はもっと早く離婚をしたいと思っていた筈だと思うのですが、我慢してくれたのだと思います。

両親の場合は完全に母親が離婚をしたかったのですが、父親に関しては母から離婚の話を切り出され時はとても驚いていました。
まさか母親が離婚を考えいたなんて事は夢にも思っていなかったそうです。

母親は何年も前から計画性を持っていたので、姫路の離婚に詳しい弁護士さん等にも介入をしてもらいました。
父親は最初は離婚を受ける事は出来ませんでしたが、結果的に母親の気持ちを重視しくてれて、ほぼ母親有利な離婚をする流れで進みました。

私たちは既に成人もしていましたし、どちらに付くこともありませんでしたが、性と籍はそのまま父方に妹と残りました。退職金の半分と預貯金も半分は母親の手に渡りました。
一応円満解決でしたが、離婚をするって本当に大変なんだと痛感しました。

離婚をしてから夢に見た生活を

結婚生活8年後、姫路の法律事務所に依頼して離婚を選択しました。

結婚生活自体、義理の家族との問題でも嫌な気分になることが多く、元夫も定職につかない時期が長いくせにお酒をよく飲みに行って、私は子育てと本当に経済的に精神的にもストレスが多かったです。

特に元夫は一度キレると手のつけようがないほど暴れて、暴言を吐くのでその度に心に傷をつくっては一人で我慢していました。

普段はたまに冗談を言い合ったりしていた事もあったのですが、元夫の借金や浮気が発覚して急速に心が離れていきました。

勇気を出して離婚を選択し、家や生活基盤等、失ったものも沢山あるけど、それ以上に得たものが多いです。

まず誰からも支配されたり、暴言を吐かれない、自分の好きな時に友達と会って自由な時間を過ごす生活。

一見当たり前のようで私にとっては夢のような穏やかな生活が送れるとは離婚を踏み切った私の勇気に今でも本当に感謝しています。

今ではささやかな事に幸せを感じられるようになったので、毎日が本当にじんわりとした幸せに包まれています。

離婚をするときの体験談

離婚は破産や死別と並んで人生の三大悲劇と言いますが、まさに悲劇というのに相応しいほどの精神的な負担になります。結婚する時に必ず幸せにすると誓っているわけですから、それを現実にできなかったという事実を突きつけられるわけですから、その時に感じる自分に対する無力感というのは凄まじいものがありました。
姫路で弁護士を介して離婚して1年間くらいは常に自己嫌悪が襲ってきました。自分のことがとてもくだらないもののように思えて何もする気がおきませんでした。そして思い出すのは妻との楽しかった暮らしです。妻とは結婚する前から10年近く一緒に住んでいたので思い出の数というのも計り知れないほどあります。嫌な思いをすることも多かったはずで、別れたいと思ったことも何度もありましたが、不思議と思い出すのはいい思い出ばかりでした。そのことがさらに辛い気持ちに拍車をかけていきました。
今は再婚しましたが、あんな思いは2度としたくないと思うので、努力することができます。

迷わず離婚弁護士に頼りましょう

荒れに荒れての離婚ですと、トラウマになりかねません。だからこそ、私は「離婚をするなら絶対に弁護士を入れるべき!」と、思ってしまいます。なんだったら、弁護士ではなくて代理人でもいいでしょう。

などと言いましても、弁護士という職業でない限り、離婚に際しての代理人を引き受けてくれる人なんて、まあ滅多にいないことでしょうね。だって、弁護士さんでも離婚案件はできれば引き受けたくはないと聞きますから。

まあそのような「離婚」という一大事ですからこそ、できることならば弁護士を入れるのがいいでしょう。自分が直接矢面に立たないことによって、第三者に離婚に関する一切をお願いすることによって、「離婚後の立ち直りにかかる時間」が違ってくると思いますから。ここがとても大事なんです。

荒れに荒れてしまう離婚の場合は、離婚に至るまでの出来事が死ぬまで尾をひく可能性だってありますからね。ですからこその離婚弁護士に頼りましょうというものなんです。

両親の離婚を見ていて感じた事。

私の両親は私が成人した後に離婚をしました。
正直言って、不仲な事は子供の頃から分かってきたので、離婚を正式にしたいと母から相談された時はやっぱりなと思う程度で焦りはありませんでした。

しかし、肝心な父親がすぐには離婚には応じてくれない事は分かっていたので、母親が離婚を決めてからの方が大変だった気がしました。

もともと両親は別居をしていたので、いずれはその時はくると思っていましたが、父親は体裁を一番に考える人なので、家庭内が破綻している分かっていても、離婚をする事に抵抗があったようで、ななかなか話し合いにも応じようとしなかったので、私が仲裁にも入りましたが、全く効果はありませんでした。

私には分からない相続問題も関係したので、途中からは弁護士さんに間に入ってもらうことで、何とか決着が付きました。色々と離婚の手続き等は端から見ていても大変でしたが、結果的には両親が離婚した事は正解だったと私は思っております。

DVにより逃げるように離婚しました。

私は都内に住む26歳バツイチの女です。子供は1歳の女の子が1人います。昨年、正式に離婚が成立しました。今はシングルマザーとして山形の田舎で子供と2人で生活しています。夫という存在に恐怖を覚えて離婚しました。約1年付き合っていた彼と2年目の記念日に入籍しました。付き合い始めた当初は本当に気を使ってくれて優しい人だったのでした。しかし、結婚をして時間がたつにつれて口調も、行動も暴力的になりました。以前の彼とは全くの別人のようでした。いわゆる「DV」です。私は夫の暴力から逃れるために子供と一緒に家を出て、シェルターに逃げ込みました。そして、夫と会うことを避けながら弁護士を通じて離婚を成立させました。
結婚直後はどこにでもいる仲の良い夫婦でした。まさに「嬉しいことは2倍」「悲しいことは半分」というような明るい家庭で、私は主婦をしてました。私自身も何気ない日常が本当に幸せでした。しかし、私が家事をしながら、時には息抜きとして友人と遊びに行くと「誰と行ってたの?」「男はいたの?」と今まで言わなかったような束縛した言葉を発するようになりました。私は付き合いたてのカップルならまだしも、既に夫婦として家族になっているのにもそんなことを言われてびっくりしました。そして飲みに行ったその現場に男がいると「浮気だ」と言われものすごく怒鳴られるようになりました。「携帯から男のメモリーを全て消せ」と目の前で言われ言う通りにしました。そして女同士で遊んでいたとしても少し帰りが遅いと暴言を吐かれ、時には殴られるようになりました。夫が恐怖に感じ、次第に私は家に籠るようになったころに妊娠が発覚しました。
彼は私の妊娠を喜んでくれるときもあれば、「どこの男の子供だ!」と怒鳴られ殴られることもありました。しかし、そんな彼でも私は大好きだったこともあり、別れる選択肢はありませんでした。
夫にはほぼ監禁されていた状態だったので、妊娠中もなかなか病院に行けず辛かったです。そして、子供を自宅で1人で産みました。夫はそんな私を放ってパチンコをしていました。
子供が産まれてからも夫は私も子供のことも無関心で、むしろ「勝手に知らない男の子供を産むな!」と罵倒され続けました。「このままでは2人とも殺されるかも」と思い、夫が酔っ払って寝静まっている夜中に子供を連れ、何も持たずに家を飛び出しました。その後はシェルターに身を隠しつつ警察に被害届を出し、紹介してくれた弁護士を挟み法的手段で強制的に離婚へ踏み切りました。「大丈夫だからね」と励まされるものの「追いかけてきて殺される」という恐怖が身体に染み付いていたのが本当に辛かったです。
その後、私は彼に会うことなく弁護士を通じて離婚調停を進め、最後の署名の時だけ警察の人に守られながら調印しました。
彼は私のことをずっと睨んでいました。
離婚が成立した後は私は子供を連れて私の実家の山形に戻りました。そして、田舎で母と子の2人での生活をはじめました。

離婚に向けた話し合いで精神を削がれる

離婚をする際には、本当にもうパワーを持っていかれますわ。ケンカの際には「もう、アンタとは離婚する!」と、絶叫かましたりするわけですが、しかしいざ本格的に離婚に向けての話し合いとなりますと、当然勢いだけではどうにもならないわけじゃないですか。

というよりもむしろ、冷静に着々と離婚に向けて話し合っていくわけじゃないですか。なんだったら、ケンカの勢いのまま離婚をして、そして次の日から新生活が始まっていればいいわけですが、まーあほとんどのケースがそうはならないものですからね!

うちらのケースにしましても、その後の淡々とした話し合いが精神を削がれたと感じますもん。離婚を優位に進めるために、思い返したくもないようなことを思い返さなくてはなりませんし、相手から精神的な苦痛を受けた言葉を書いていかなくてはならないわけです。もう辛い以上の言葉なんてないような作業ですよ。

ですから離婚って、準備の話し合い以前の作業でも精神が疲れ果ててしまいます。けれど、やらないことには先に進めませんからね。仕方ないことなのですが。